
株式会社唐沢農機サービスに転職した40代男の自己紹介!
ご挨拶
初めまして。この度、株式会社唐沢農機サービス/ビーズクリエイト部門に2025年3月1日付で入社しましたkumagayaと申します。
ビーズクリエイト部門は唐沢農機サービスのWEBビジネス部門で、その中でも新規・既存クライアントに対して「ウェブマーケティング」の支援を行う部門に所属しています。
唐沢農機サービスでは、社員共通のルールとして社員全員が1ヶ月に1記事のブログ投稿が業務として定義されており、私自身もこの機会に初めてのブログ作成をさせて頂きます。
初めてのブログ作成では「自己の紹介記事」を書く必要があるので、今回の記事では私が自分の生い立ちと株式会社唐沢農機サービスに入社したきっかけを書いてみたいと思います。
自己紹介
幼少期
1978年12月に東御市の実家(周りが田んぼや畑ばかり)で誕生。
地元の保育園を卒園して小学校に入学する年に、父親の夢へのチャレンジの為に弟を含めた家族4人でイギリスに移住。
父は10代の頃からモータースポーツの選手としての顔も持っていて、父が30歳になる頃(自分が保育園を卒園する頃)に「海外のレベルの高いところで勝負してみたい!」という理由からです。
地元の小学校には行かずに、1985年と1986年の約2年間(小学1年と2年に該当する年)をイギリスの小さな小学校に通いながら過ごしていました。
小学3年になる年に父以外の3人は日本に帰国し、地元の小学校に通い始めました。
父が単身赴任の様なかたちになったのは、単純に「家族4人ではお金が掛かりすぎる」から。
1985年当時のイギリス通貨の1ポンドは300円オーバー。今が190円位ですから、日本人にとってはお金が掛かりすぎたのです。
さらに父のモータースポーツという競技にも莫大な資金が掛かります。
父のバイクショップも従業員さん達にずっと任せていたこともあり、様々な問題も生じてきたという事も理由のひとつです。
小学校から高校入学~中退まで
小学3年から日本で再び暮らし始めた私は、そのまま地元の中学校に行き、高校受験も経験して地元に近い高校に入学しました。
しかし、1学期終了と同時に退学してしまったのです。
理由は色々あるのですが、一番のキッカケはその年の6月に父がレース競技中に多重クラッシュに巻き込まれ、レース競技の相棒だった人がその事故で亡くなってしまった事も、自分の精神状態の変化が起きたような気がします。
自分のその亡くなった人に数ヶ月前に会っていたので、15歳の自分には大きなショックでした。
父も大きなケガだったけど、運良く命は助かりましたが、父は精神的に大きく落ち込み、そのまま現役引退を考えたそうです。
しかし、なんとか立ち直り再び現役復帰しました。
その時に自分の中で心の変化があり、「自分は惰性で高校に入っただけで、一体何がしたいんだろうか・・」と。
父が単身で頑張っているのに、自分がこのまま惰性で過ごす高校生活がどうでもよくなってしまいました。
そんな思いが湧き上がって高校を中退することになったのです。
退学後は次の年の春までレストランでアルバイトをし、次の年の1995年と現役最終年の1996年の2シーズンを父と共にイギリスと拠点にヨーロッパ各地のレース競技をサポートしながら付いてまわって過ごしました。
学歴社会の日本では「中卒」という不利なキャリアになってしまいました。
「高校卒業して大学に行って、キャンパスライフを経験してみたかった」という思いもありましたが、逆に普通の人生では経験できないようなことも沢山経験し、様々な国を訪問できたことは、「それも一つの人生のかたち」としてはアリだったかなと思っています。
アルバイト~就職~24歳で個人事業主
帰国してからは暫くフリーターの様な生活をしていて、20歳を過ぎたあたりに5歳上の友人が「パソコン使える?」と言われ、そこで初めてパソコンの仕事をお手伝いする事になりました。
当時、「マピオン」というYahoo!地図に情報提供していたサービスがあり、そこの2次代理店の様な立場だった友人の電話営業活動を手伝うとい内容でした。
暫く手伝っていたのですが、それほどうまくいかなかった記憶があります。
その後正式に就職するかたちになり、事務機器の営業や自動車ディーラーも経験しました。
そして24歳になった時、インターネットがこれから大きく伸びていく時代に突入、そこでSEO(検索エンジン最適化)という分野に興味を持ち、自分なりに勉強して個人事業主としてスタートしたのです。
メール営業を中心に「検索順位を上げます!もし成功したら成功報酬を下さい!」という売り出し文句で少しずつお客様から仕事を依頼されるようにもなりました。
20代後半には自分でホームページ制作したサイトでアフィリエイト運営にもチャレンジ、自分で情報をインプットして何度も失敗を繰り返しながらも、ある時期ではGoogle検索で「1位」を実現。
しかし、徐々に上場企業がアフィリエイト事業に進出してきて1位の座から転落。
30歳を過ぎる頃にサイト売却の依頼が来て、運営していたアフィリエイトサイトを売却する結果になりました。
それからはWEBの勉強をもっと頑張ろうと決意し、ウェブサイト制作のお仕事が中心になっていきます。
暫くすると父が60歳を機に海外の仕事を引退し、日本に帰国して趣味と実益を兼ねた車の仕事を始め、私も少しずつ仕事を手伝うようになりました。
WEBの仕事と父の仕事の手伝いの二足のわらじになります。
暫くは平凡な人生が続いて特に不満は無かったのですが、父が70歳を超えるタイミングで2024年に大きな手術を経験することで、自分の心境の変化が訪れたのです。
父の衰えで車の仕事を減らして行かざるを得ない状況になり、妻子がある私の将来を心配している父に気付いたのです。
暫くは色んな事を考えたのですが、父の心配事を少しでも減らすには私自身がもう一度定職につく覚悟を持つ必要がありました。
そこで唐沢農機サービスの採用情報のウェブページを見て、思い切って応募したら幸運にも採用を頂くはこびとなったのです。
唐沢農機サービスに貢献したい
学歴も無いし、何の取り柄も無い未熟者の私がなぜ採用されたのかは未だに疑問なのですが、採用を決定してくれた会社には感謝していますし、何かしらの形で貢献できればと思っています。
弊社は全社ルールが厳格化されていて、挨拶や行動指針、日々の業務内容が明文化されたルールに基づいて行動しています。
株式会社唐沢農機サービスのビーズクリエイト部門では、ウェブマーケティング等の経験が生かせる仕事なので、自分にとっては居心地が良いと感じています。
※現在の会社の場所だと通勤時間も3分程なので、毎日出勤する自分としては大変ありがたいことでもあります。
唐沢農機サービスという会社は、店舗での農機具の買取や、新品および中古販売、整備センターでの修理(農機ソリューション部門)をメインにしていますが、ノウキナビというECサイトを立ち上げてオンラインショップでも農業機械のネット売買を通じて全国の農家さんとも協力し、年々規模を拡大しています。
さらに農業機械商品の販売だけにとどまらず、社会のニーズを捉え、色んな事業(自動車販売やフードサービス事業)に挑戦している行動力を伴うベンチャー精神の企業です。
弊社のフードサービス事業では、
・小諸市の『もんじゃ焼きの竹りん』
・上田市の『大衆酒場食堂Nakamura』
上記2店舗の飲食店事業もスタートしており、メディア掲載や取材対応などを取り組み、弊社の優秀な広報の皆さんのおかげで順調に集客できています。
自分自身もこのような環境で少しでも成長できたらと思います。
もし、同じようにウェブマーケティングの経験を生かしたいと思っている方や、弊社の経営理念や採用情報にご興味ある方がいたら、以下のリクルート情報から会社案内や概要を一度ご覧頂きたいと思います。
YouTubeでの会社説明会等もあります。
最後までありがとうございました。今後ともよろしくお願いします!