アナリティクスはファンタスティック。
ここ“ビーズクリエイト”に入って半年が経ちました。
わたしは、ずっと広告会社でクリエイティブの仕事をしていましたが、ここで仕事を始めて、広告会社とWeb会社との違いに戸惑ったり、驚いたりすることは、まだまだいっぱい。
いちばんの驚きは“アナリティクス”という、いままで見たことも聞いたこともなかったシロモノでした。
わたしはまだ、まったく使いこなせてないけれど、インターネットでサイトを見たヒトの動きがまる見えじゃないの。結果がすぐわかるじゃないの。結果が悪かったら修正してみて、またその結果が見れるじゃないの。
わたしたちがやってたことは、テレビやラジオ、新聞とか雑誌とかの広告だったから、生活者とダイレクトにはつながってないもんね。
どこのだれが、いつテレビコマーシャルを見ているのかなんてまったくわからない。その点、インターネットだと、クリックしたヒトを特定できるから、結果はすぐ出るもんね。
結果といえば、以前、知人に頼まれ、「仕事に対する私の考え」というお題をいただき執筆したことがありました。
内容は、「仕事に対する私の考え」は、「仕事は結果がすべて」というものでした。
わたしは30年以上、広告制作の仕事をしてきた。32歳の頃、某ホテルチェーン内レストランの、伊勢海老と松茸を中心にした特別料理フェアの広告を制作することになった。私が考えたコピーは伊勢海老編が「海の幸の王」、松茸編が「陸の幸の王」というものだった。今にしてみれば安直なコピーだとは思うが、当時、料理や素材の資料を読みあさり、やっと辿り着いたコピーだった。結果は、前フェアに比べ集客が300%アップ。私がこの時に思ったのは「仕事は結果がすべて。汗を流そうが、血ヘドを吐こうが、最終的にいい結果が得らえなければ、いい仕事とはいえない」だった。
その後、広告会社5社が競合したドイツ車のコンペで勝利した時、その祝勝パーティで、若い制作スタッフに言った言葉がある。「40億円のアカウントをゲットしたことは素晴らしい結果だが、これからの広告活動でいっぱいクルマを売らないと意味がない」。制作スタッフには不評だったが営業スタッフには大好評だった。
結果の良し悪しは最終最後までわからないものだ。“ACジャパン”というところに出向していた頃、リサイクルを促進する公共広告を制作した。ゴミは資源であり再利用すべきだということで、「なくなればいいな、ゴミという言葉」というコピーのCMをつくった。しかし、ある賞でグランプリをとるほど好評を得たこの広告が1本の電話に打ち砕かれた。小学生の子供を持つ、“五味さん”という母親からで、「あのCMで子供がイジメにあっている」とのこと。「ゴミ=五味」を事前に思慮できなかったことを悔やんだ。たった1人からでもクレームが出れば、結果良好とはいえない。本当に深く反省した。
私は還暦を超えてしまったが、生涯なんらかの仕事に関わるつもりでいる。ただ、「仕事は結果がすべて」というこのシンプルな考えは変わらない。
いま読み返してみると、当時の広告効果の結果は、何週間後とか、何か月後とか、何年後とかにしかわからなかったものだったんですね。しかも、結果は実績でしか示されないもの。
インターネットの世界って、スピードだったり、確実性だったり、軌道修正力だったり・・・。とにかくスゴイ。
「早くWebに慣れて、ここで結果を出さなきゃ!」と、65歳の老体にムチ打ってあがいている、今日この頃です。